歩いてみよう 両国

両国駅方面からオザキ本社へお越しいただく際、高速道路の下に架かる僅か30mほどの「いちのはし(一之橋)」という短い橋を渡ります。

あまり知られていませんが赤穂浪士が討ち入り後に泉岳寺に引き揚げる際、最初に渡った橋だということです。その橋を渡って右に曲がっていただくと我が社が見えてきます。ご来社の際には是非チェックしてみてください!
「いちのはし(一之橋)」
高札-忠臣蔵 さらにお帰りの際、時間が有れば…お薦めスポットが「吉良邸跡」です。
忠臣蔵の討ち入りの舞台となった場所です。実はオザキの近くなんですよ、そ・れ・が!

歩いて5分ほどの場所(旧本所松坂町・現在の両国三丁目)にあります。現在の屋敷跡は、なまこ壁に囲まれ、『本所松坂町公園』と呼ばれています。
当時の吉良邸の敷地は2550坪もあったということです。
現在では86分の1とコンパクト?になってしまいましたが。
さて、黒塗りの門をくぐると、首を洗った「吉良公御首級洗い井戸」や上野介50歳の姿を写した「吉良上野介義央公座像」、討ち入りによって亡くなった吉良家の家臣二十士の碑などがあります。

もともと吉良家の屋敷はもっと江戸城の近くにあったそうですが、赤穂浪士が討ち入るという噂で、周囲の大名屋敷から苦情が出たため、移転を余儀なくさせられた…まあ、迷惑がられて追い出されてしまったというところでしょうか。
本所松坂町公園(吉良邸)
吉良邸内部
さらに周辺を歩いてみると、吉良邸の裏門近くに移り住んだ赤穂四十七士の一人、前原伊助の住居跡があります。

「米屋五兵衛」と称して店をこの辺りに開業。伊助は変装名人だったそうですが、ドラマでは吉良家の家臣に怪しまれ、袋叩きにされるシーンで有名ですね。このお話はフィクションだそうですが、吉良家の裏門とは眼と鼻の先、動向を探るにはうってつけの場所。討ち入り当日も、吉良邸で開かれた茶会の客が引き揚げたことを確認。上野介が外出していないことを大石内蔵助に報告し、店は浪士たちの集合場所になりました。
前原伊助宅跡
  毎年12月の討ち入りの日には、赤穂四十七士と吉良二十士の両家の供養を行う『義士祭』、
  12月の第二または第三土曜日・日曜日には『元禄市』も開かれ大変賑わいます。
なお、忠臣蔵では悪者イメージの吉良様ですが、
愛知県吉良町では善政を行った名君として今でも地元の人に慕われているそうです。

今年も残すところ1ヶ月を切りましたが、両国界隈の忠臣蔵ゆかりの地。
ぜひぜひ、オザキにお越しの節は立ち寄ってみてくださいね! (取材日 2012.12.6)

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